About the Song
時代を超えて愛され続ける
シティポップの原点
1979年リリースのデビューシングル。透明感あふれるハイトーンボイスとメロディーが、日本のシティポップシーンに新たな風を吹き込みました。
近年は国内外の音楽ファンに再発見され、各種ストリーミングサービスで多くの再生数を記録。時代を超えた名曲として語り継がれています。
SONG INFO
| リリース | 1979年 |
| アーティスト | 桑江知子 |
| ジャンル | シティポップ / J-POP |
| レーベル | SMS Records |
My Heart is Stop Motion
私のハートは
ストップモーション物語
CHAPTER 01
1979年、あの日差しの中で始まった私の物語
私はもともと、沖縄の泡瀬(現・沖縄市)で生まれて、福岡県福岡市で育ちました。歌が大好きで、福岡にある東京音楽学院の九州校に通っていたのが、私の運命を大きく変えるきっかけになったんです。
高校3年生のとき、学院の全国オーディションに参加しました。そこで優勝はできなかったけれど、渡辺プロダクションのプロデューサーさんの目に留まって、「東京に来ないか」と声をかけていただいたんです。決心してからは早かったですよ。高校の卒業式からわずか3日後には、もう東京へと向かっていました。
卒業式の3日後、私はもう東京行きの荷物をまとめていた。
CHAPTER 02
「これじゃない!」から始まったデビュー
上京したての私が本当に歌いたかったのは、自分の声をじっくり聴かせる「しっとりとしたバラード」でした。でも、デビュー曲として用意された『私のハートはストップモーション』を初めて聴いたとき、正直に言って「えっ、これなの?」と思ってしまったんです。
若かった私は、プロデューサーさんに「これじゃない! 私はもっと違う歌が歌いたいんです」って、思いっきり食ってかかってしまいました。今思えば本当に生意気な新人ですよね。案の定、プロデューサーさんにはこっぴどく怒られました。
事務所の戦略は、私を「クールな女性」として売り出すことでした。髪を極端に短いショートカットにして、テレビに出るときも「あまり笑うな、余計なことは喋るな」と厳しく言われていたんです。本当の私はもっとよく笑うタイプなのに、画面の中の自分は自分じゃないみたいで、当時は少し戸惑いもありました。
「あまり笑うな、余計なことは喋るな」――画面の中の私は、本当の私じゃないみたいだった。
CHAPTER 03
1979年、目まぐるしい日々の中で
1979年1月25日。ポーラ化粧品の春のキャンペーンソングとして曲が流れ始めると、状況は一変しました。都倉俊一先生のキャッチーなメロディと、萩田光雄先生の華やかなアレンジ、そして「マンションのエレベーターを降りた途端に恋に落ちる」という竜真知子先生の鮮烈な歌詞。これらが重なって、街中に私の歌が流れるようになったんです。
当時の歌番組の勢いはすごかった。TBSの『ザ・ベストテン』では「今週のスポットライト」として出演させていただきました。当時は本当に忙しくて、自分が今どこで歌っているのか、どの番組に出ているのかもよく分かっていないくらいでした。デビューから3年くらい経って、ようやく自宅でテレビを見ながら「あ、私この番組に出たことがある気がする」なんて思い出すくらい、当時は必死で駆け抜けていたんです。
そして、その年の大晦日。第21回日本レコード大賞のステージで、私の名前が呼ばれました。竹内まりやさんや倉田まり子さんといった素晴らしい同期がいる中で、「最優秀新人賞」をいただけたことは、一生の宝物です。
✦ 受賞
第21回 日本レコード大賞
最優秀新人賞
CHAPTER 04
止まっていた時間が、また動き出す
あれから長い年月が経ちました。私はポップスだけでなく、ラテンやジャズなど、いろんなジャンルの歌に挑戦してきました。
そんなある時、母や祖母から言われたんです。「沖縄には良い歌がたくさんあるのに、どうして知子は歌わないの?」って。それがきっかけで、私は自分のルーツである沖縄の音楽に目覚めました。今は琉球民謡を学び、三線を手に歌う時間も大切にしています。
2013年には、あのデビュー曲をボサノヴァ・バージョンでセルフカバーしました。若い頃は「これじゃない」なんて反抗してしまったけれど、今ではこの曲があったから今の私があるんだと、心から感謝しています。
マンションのエレベーターを降りた瞬間に始まった私の「ストップモーション」は、
今も形を変えながら、私を新しい場所へと連れて行ってくれています。
— 桑江知子